
音楽の著作権もできていればシューベルトももう少し助かったんでしょうけれども、ずっと後になってからできました。これは19世紀後半に国際法になります。なぜかというと、ドイツの曲を日本がやったり、日本の曲をアメリカがやったりということが当然ありますので、国際法として、国際条約でいろんなことを決めて、これは1886年のベルン条約、スイスのベルンで開かれた国際会議の条約で、国際法として成立をしたわけです。 我が国では、明治32年といいますから、1898年ですけれども、ドイツからはちょうど100年おくれて、ベルン条約からは十何年かおくれて、明治32年に立法化されまして、同時にベルン条約に加盟をしております。これはどういうものかというと、大体50年とか80年とか時期を区切りまして、作曲家が死んでから50年の期間とか、あるいは80年の期間とか、各国によって違うんですけれども、その期間にその曲が演奏されたときに、それを演奏した人が、作曲家に著作権法できめられた著作権料を支払わなければならない。簡単に言えばそういう法律なんですが、法律の精神としては、こういった芸術作品というのは社会の共有物であるという前提に立っていて、社会の共有物であるのだから、期限を区切って、その期間だけ、ある権利を保障してあげるという考え方でできているわけです。 大体死後50年というのが一番多いんですが、法律は非常に面倒くさいもので、著作権をやっている弁護士の方なんかにお話を伺うと、聞いていて何だかさっぱりわからないみたいな難しい法律なんです。それは国際法になっておりまして、これが外交上のいろいろな道具に使われてきていますので、ますますわからなくなっちゃうんです。日本なんかは戦争をしましたから、戦争をして、しかも負けました。そうすると、戦時加算というのがあって、つまり、原則的に、開戦の年の1941年から、対日平和条約ができた1952年、その期間が戦時加算されて、つまり50年の国だと、日本はその分だけ足した年、だから、普通の国だったらもう50年で著作権が切れちゃっているという人に、この約10年、11年になりますか。11年分を足した61年間は日本は払わなければいけない。 払わなければいけないというのは、日本が負けた国に対してだけなんです。だから、ドイツやイタリアに対しては払わなくていいだとか、いろんなそういう複雑なものがありまして、全くわからないのですが、それは日本では社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)というのがありまして、そこが全部計算を出してくれます。我々も演奏会をするときは、必ず演奏会のプログラムを著作権協会に申告しなければならないという義務があるわけです。この著作権協会は全国に数多くの支部があることはご存知の通りです。 ですから、もちろん50年以上たって全く著作権の切れている作曲家の作品ばかりやって
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